2012年01月29日

潜在意識の中で培われた豊かな土壌

植物の根というのは枯れて分解された後でも土のなかでその痕跡のまま栄養や水分の通り道になったりすることで豊かな土壌が培われる助けになっているというようなことをどこかで読んで、とても印象に残ったことがある。

当時は少しだけ畑をやり始めた時期で、不耕起でやる自然農の真似事みたいなことをしていたので、鍬で人為的に耕さなくても自然が土を培っていく原理というのが当たり前に自然に備わっていることに対して素直に感銘を受けたのだ。

収穫の終わった野菜や、普通はやっかいものと目される雑草なども、根こそぎ抜くことをせずに、根元で切って根はそのまま残しておく、それを繰り返しては亡骸を重ねていくことで時間はかかるけれどしっかりした強い土壌がそこに培われていく、ということらしい。

土の中は見えないのでどうなってるかよくわからないけれど、それがないことには土の上に出ている見えているものは成り立ちようがない。そこから自分で考えたり思ったりしている意識できる領域も、おそらくは自分で普段考えてない潜在意識にある領域に支えられてるんだろうなという思いが起こされる。

年を重ねるごとに、いろんな場所に触れて、いろんな人と出会って、いろんな経験を積み重ね、潜在意識の領域に深く根付いた多くのものたちは、もはや見ることも触れることもできない形に変容し、普段は意識することもなければ、全てを思い出せるわけでもない、けれども確かにそれらは潜在意識の中で豊かな土壌を培って今の僕を支えてくれているのだ。

たまには日々を耕す手を休めて、自然の営みのなかで豊かに培われた森の土壌に寝ころんで、そんなこんなを思い巡らせる日があってもいい。

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2012年01月25日

無題

『追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。』

リルケ「マルテの手記」より

ネット上を流れる情報のなかにぼんやりと糸を垂れていると、たまにハッとする言葉が引っかかることがある。

そうやって釣れた魚を餌にして、今度は自分の記憶の泉に糸を垂らしてみると、いつも使いなれた餌では釣れないような魚が釣れたりして…
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2012年01月23日

旧正月のお飾り

旧暦の正月おめでとうございます

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うちでは例年丸めたご飯とゆずで旧正月を飾ります(ウソです)

たまたま解凍するのに出したご飯がちょうどいい大きさだったので…

でも慣習の始まりなんて案外こんな偶然「!」からのことが多いのではないかと思ったりします
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2011年12月28日

ようやく手を付けたIKEAの取っ手

数年前、リビングをリフォームした時に余ったIKEAのキッチンの端材と、洗面所に使って余った机の天板の端材を使って作ったキッチンワゴン。

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同じIKEAの取っ手を使ってデザインに統一感を持たせたのはいいけれど、外した方の開き戸の取っ手を買い足さないといけない…

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…と思いながら一年以上過ぎているうちに、同じ大きさの取っ手が廃版になってしまっていた。

ダメ元でリビングのリフォームを頼んだ横田建築のOさんにそちらで在庫してないか?と訊いて見たら、なんと数本残っているという。さすがIKEAキッチンに強いだけのことはある。さっそく予備もふくめ6本注文したらOさんがじきじきに持ってくださいました、ありがとうございます。

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さっそくつけましたよ。

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やっぱり開き戸には取っ手がないとしまりませんね、というか、閉まるんだけど開けにくい…

そんな状況で1年以上もやり過ごしてたわけで、なくてもなんとかなるもんだと思いながらも、やはりなんでもすぐに手をつけないといけないなというのが今回の教訓でした。
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2011年12月17日

庭先にロケットがある家

本屋でなにげなく3Dcad関係の本を探していたらGoogle SketchUpという3Dスケッチの教則本があったのでパラパラめくってみたところ、開発現場で使ってるようなパラメトリックな3D設計はできないけど、macでも動くうえフリー版でもかなりのことができそうなので、家の収納とかちょっとしたリフォームとか家具製作を検討するくらいならこれで十分かも。
ということで、買ってしまいました。

上の子もついでにいっしょにやってみたら、案外本をみるだけでさくさく書くことができてびっくり。

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意欲さえあればかなりのことをweb上で習得することができるすごい時代になったものです。

ただ子供の集中力はまだ長続きしないようで、しまいには興味のおもむくままロケットとかダウンロードしてきて遊んでたけどね。

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庭先にスペースシャトルとロケットがある家ってのもすごい。
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2011年12月05日

IKEAの引き出し

週末は、クリスマス前の雰囲気をみてみたいというのと、プラスチック製品の設計のヒントを探しに久しぶりにIKEAに行きました。

クリスマスグッズはすでに出遅れた感じで品数が少く、残念な感じではあったけれど、何点かはなるほどねというヒントになるようなものがありました。やはりああいうとこらはなんらかの課題をもっていくとまた違った楽しみがあっていいです。

IKEAにいくと毎度のことながらその場の勢いで想定以外のものをかってしまうのだけど、今回もこんなのを買ってしまいました。

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リビングの領域を侵犯しつつある下の子のおもちゃの居所をこれでなんとかしたい。

棚の方は出来合いのだとサイズが合わなかったら残念だし、パイン材のニス仕上げというのが気にいらなかったので、洗面所のリフォーム用に購入して余りそうな桧の壁材と、数年前のリビングリフォームの時に余った桧の床材(なにかに使えるだろうととっておきながら場所だけとっていた)とでなんとか作ることにしました。

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こういうのは、買うだけかってしばらくほったらかしになるケースが僕の場合多くあって迷惑をかけてたんだけど、今回は珍しく買った次の日にあらかた作り上げることができて自分でもびっくり。

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IKEAでみたときはそうでもなかったけど、こうしてみるとカラーがきついから扉もあったほうがいいかな。



収納ばかりでなく、イヌのぬいぐるみとかおもちゃのほうも増えてしまうんですけどね…

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2011年11月12日

ミニチュアのテーブルセット

車で小一時間ほど離れたところで上の子の中学校の模擬試験とやらがあったので車で送って終わるまで待ってる間にぽっかり時間が空いたので、近くの図書館に行った。

そういえばこの街にはちょいちょいくるけれど、図書館には入ったことがない。初めてこの街の図書館に入ってみて感じたのは図書館に行くというのはある街を知る一つの方法ではあるなということ。

そこてたまたま目に留まった本にウェグナーの自宅に1/5スケールのイスがずらりと並んでるのがあった。この街の住人ではないので借りることもできないのでありったけスケッチしているうちに無性に何かを作りたくなった。

想像すると実際に創造したくなるものだ。

たまたま洗面所のリフォームで使ってる壁材の端材がたくさんあったので、とりあえず下の子のドールハウス用のテーブルセットを作ることにした。

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子供のドールハウス用のミニチュアを作るのは子供のためにというよりは、僕の場合作るのが楽しいからで、子供がままごとを楽しむ感覚とそうは変らないんだろうなと想像する。

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実際のテーブルセットを作るにはさらに詳細な想像と時間と情熱が必要なんだけどね。
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2011年10月30日

薪ストーブおうちカフェ メモ

NPO法人碧いびわ湖主催の薪ストーブおうちカフェに行ってきました。

薪ストーブそのものの話もさることながら、薪にまつわる話が興味深かった

以下そのときのメモ

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かつては薪炭森が里山にあって、ナラやカシなどを20年サイクルで順番に伐採していてうまくバランスが取れていた。切り株から芽がでて20年後にはちょうど良い太さになるという。おおむね一生のうち同じ切り株から薪木を2回伐採することになる。

ナラやカシなどの薪炭材も20年を越すと太くなりすぎて搬出しにくくなるうえ、老齢樹になると虫にやられやすくなるという。昨今全国的に流行っているナラ枯れ問題も単純に地球温暖化が原因という訳でなくそのあたりの人の関わりも含めた環境の変化にも原因があるらしい。

また、薪炭材であるナラやカシなどは15〜20年くらいの樹が最も盛んにドングリ実をつけるようで、それより樹齢かかさむとかえって少なくなるということで、昨今クマが出没する問題も、住宅地がクマの生息地に近くなったというだけでなく、そんな薪炭林の更新が滞ってるのも一因としてあるようだ。

薪ストーブで木を燃やすというと、自然破壊だと短絡する人もいるかもしれない。人の介在しない野性の状態だけを自然というならそうかもしれないが、人も自然の一部であって持続可能な人と自然との関わり合いも含めたものも自然であるに違いない。そんな関わりを断ち切って化石燃料をわんさか掘り起こして使うほうがよっぽど自然破壊になりうるということだ。

かといって全部薪でエネルギーがまかなえるかというとそんなことは全然なくて、木材などの素材をのぞいて持続可能に必要な熱エネルギーとして滋賀県内で供給できるのは全戸の5%程度でしかないらしい。

里山を野放しにして人の介在しないような野生の森林に戻すにまかせるのも問題だけど、禿げ山にしてしまってはさらに問題。いまのままのエネルギー消費そのものを見直す必要があるということ。

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その他雑感

薪に代表される木質エネルギーを単純に熱エネルギーとしてだけ捉えて経済性を電気や石油と比較するのは浅はかである。食物や農業の問題も似ているのは平たくいえば食物もエネルギーだからかもしれない。そしてどちらも安全保障問題にもからむことであったりする。

薪ストーブを導入するとなると内装もそれに見合ったものに、見てくれではなく素材そのものを本物の自然素材にしないと見合わないと感じる。自然のものを費やすわけだから、同じように周りのものを自然素材にしたくなるのかもしれない。逆に自然素材の内装でオール電化ってしっくりこない。

薪文化が廃れてしまった日本ではモノの進化も中断しているけど、薪文化がそこそこ維持されてるヨーロッパや北米ではちゃんとモノも進化しているので、いい薪ストーブを買うとなると現段階では輸入モノが多くなるのは致し方ない。道具づくりの文化が廃れたわけではないので今後の復活に期待したい。

いま日本の森林で問題になってるのは自然の一部としての人が介在した里山的森林が崩壊して野性の森林に向かう過渡期の呻きみたいなものか。崩壊して変容しているのはほとんどの場合は人間の社会的な営みのほうなんだろうとおもう。

自然を大切にする目的はあくまで人間が生きて行くためであって野性の自然から人間を排除するためではない。立入を制限されているチェルノブイリ近辺の森が逆説的に野生保護区のようになっているそというのを思い出した。そんなのは全然めでたしめでたしではない。

posted at 23:17:05
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2011年09月29日

金木犀の季節が巡り世界は変わる

きんもくせいのにおいがしたようなきがした

・・・

今日、日が暮れてから家路に向かう車に乗り込むときに一瞬ふと匂いがふれた気がして、それからなんとなく金木犀について思いを巡らせながら家につくと、たしかに、金木犀の匂いは気のせいではなかった。秋なのだ。

・・・

去年の今ごろは金木犀と臭覚にまつわる話をよく呟いていたことを思い出した。

金木犀の季節が同じように巡ってはきたけれど、あれから3.11を超えて確かに世の中が変わってしまった、世の中の受け止め方が変わってしまったことを感じる。

・・・

金木犀はたまたま人間にとって心地良い匂いのするものが好んで人間の周りに植えられてきた経緯があるのだろう。逆に嫌な匂いのする植物をあまり知らないのも、そんな植物は排除してきたということかもしれない。

人類に備わった感覚器は生存環境や体の条件に応じた危険を察知するために長い時間をかけて適応してきた。なのに放射線や放射能の危険に対してはそれを明確に認知できる能力に乏しいということは、そもそもそんな必要があまりない程度の危険しかなかったということなのだろう。少なくともこれまでは…

危険を認知する上では視覚や聴覚だけでなく臭覚や味覚や触覚なども致命的に必要な場面はたくさんある。例えばそんな感覚が備わっていた人がある日突然どれかを奪われたとき、今まで認知できた危険が認知できないことによる不安を抱くのは当然のことだろうと思う。

仮に放射能が自然に環境上に遍在し放射線による危険が致命的になりうる世界があったとして、その中でも人類が繁栄しえたとすると、一つの可能性として、そんな環境に適応できるようにその危険を認知できるような感覚器が備えられていたりするのかもしれないと想像してみる。

例えばそんな世界で突然、放射線による危険を認知する感覚を奪われたとき、現実の世界で感覚の一部を突然奪われるのと同じように、突如奪われた感覚の喪失に不安を抱くに違いないと想像がつく。

感覚器で認知できないような危険なものが原発事故によって広範囲に環境にばらまかれてしまったということは、順番が違うだけで結果的に同じような不安を引き起こしているのではないかと考えてみる。今回の事故は広範囲にわたって多くのひとの感覚の一つをいちどきに奪うほどの一大事なのだ、と。

少なくとも去年までは金木犀の匂いからこんな連想が連なることはなかった。3.11までは平和だった…、というよりは、それまで覆い隠されていたものが姿をあらわし始めたと見るべきなんだろう。
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2011年07月23日

アングーラのレプリカ

以前廃棄する机をいただいて洗面所の天面にしたり、キッチンワゴンの天面にしたりしたあとの板が場所をとっていた。

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板厚がちょうどネフ社のアングーラという積み木と同じだったので、レプリカをつくってみることにしました。

削りシロを残して丸鋸で粗切り。
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高さを合わせて鉋で中削り。
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ヤスリで仕上げ。
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垂直に接合。
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長さを合わせて切断。
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最後にエッジを面取りしてできあがり。
本物は色がついてるけど、そこまですると、廃材を使用した感がなくなるのでこのへんでしまいにする。
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いいものをコピーすると学ぶことが多いのを実感しました。
posted by kiat at 00:00| Comment(0) | モノヅクリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする